現役編集者の書評ブログ

ビジネス書の編集をしています。読んだ本を不定期で紹介します。

【書評】『人間をお休みしてヤギになってみた結果』トーマス・トウェイツ

「凡人」には選べない道

大学生のとき、研究室の同期に現代版「太宰治」みたいなやつがいた。

親からの仕送りと奨学金をほとんど風俗通いにつぎ込み、学校の課題も同棲していた彼女にやってもらって何とか単位を稼いでいるというまさに❝詰んでいる❞状況だった。

 

もちろん就活もうまくいくはずはなく、卒業後の進路も一向に決まらない。そんななかでも、特に焦る様子もなく、どうしようもない生活を続けていた。

 

僕は当時、そいつのことがあまり好きではなかった。飲み会で「退廃的生活」の話を聞くたびに、なんだかイライラして、大きな声で反論をぶつけたりしていた。

 

今になって振り返ってみると、僕はそいつのことがうらやましかったのだと思う。

風俗に通って、勉強もしない。将来への展望もない。そんな「無意味な生活」が、就活で「働く意味」「生きる意味」を問いかけられることに疲れていた僕にはまぶしかった。

実際、彼は自分の生活をなんら恥じていなかったし、これからもそうやって生きていこうとしていた。

 

僕はよく言えば安定した、悪く言えば凡庸なこれまでの人生(そしておそらくこれからの人生も)を選んだことを後悔はしていない。でも、当時の僕が選べなかった方向に進んでいった彼に対してどうしても妬ましさを感じてしまうのだ。

 

今回紹介する一冊も、僕ら凡人が絶対に思いつかないであろう試みへの挑戦を記録したノンフィクションだ。

 

 

 

 

『人間をお休みしてヤギになってみた結果』

書名:人間をお休みしてヤギになってみた結果

著者:トーマス・トウェイツ

出版社:新潮社 (2017/10/28)

ISBN:9784102200032

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33歳にもなって、仕事が見つからない。そのことで彼女とも言い争いになっちゃうし、やることと言ったら、親戚の犬の面倒を見ることだけ。これからどうしよう……。

そんな悩みから解放されるには……そうだ! ヤギになってしまえば人間特有の「悩む」ことがなくなるかも!

 

この本を手にした読者の反応はまっぷたつに分かれると思う。「何言ってんだこいつ」とそっと棚に戻すか、「この人めちゃくちゃ面白い」とレジに持っていくか。

僕は後者だった。そして、その期待を裏切られることなく「ヤギになるための挑戦」の数々に最後まで笑わされっぱなしだった。

 

あらすじなんかを書いても意味が分からないと思うが、本書は、トーマス・トウェイツが人間をお休みして「ヤギ」になるまでの過程を記録したサイエンス・フィクションだ。なんと、この研究でトーマスはイグ・ノーベル賞を受賞している。

 

 

「ヤギ」になるために必要な3つのこと

実はトーマスは最初「象」になることを目指していた。研究を支援する団体にも、「象になってアルプスを越えること」を目標として申請している(この研究に支援を約束する団体があるんですね……)。

ただ、開始数十ページで「象になりたくなくなっちゃったんだ」とあっさり方向転換する。象は大きすぎるし、道徳を理解するため「悩み」から解放されなさそうだからというのがその理由。

「そのくらい調べとけよ!」と突っ込みたくなるけれど、トーマスは新たなターゲットとして「ヤギ」に目をつける。

彼は「ヤギ」になるため、さっそく行動を開始する。

 

 

  • 「ヤギの思考」になるために、頭に電気ショックを与える
  • 四足歩行で歩くために専用の装着具を開発する
  • 草を食べるために、ヤギの胃を再現した装置をつくる

 

 

素人のおもしろ実験で終わらないところがすごい。「ヤギ行動学」の権威や、草食動物の胃腸を専門に研究している教授など、その道のエキスパート(もちろん「ヤギになるための研究」をしている人はいない)から知見を得つつ、プロジェクトを進行させていく。

 

 

「いやいやいや、私だったら絶対にやらないわ」

トーマスが世界で活躍する研究者たちのもとを訪れ、「ヤギになりたい」と伝えるシーンは最高だ。

 

「それは私たちが行っていることとまったく同じですね」とキングストン=スミス博士はあかるく言った。

「よかった! 僕、間違っていなかったんですね! それで微生物が培養されて、草が発酵して……」

「うんうん」

「そしたらその袋を僕の胴体に縛り付けて、開口部から噛んだ草をそこにはき出して培養された微生物と混ぜて、揮発性脂肪酸をもう一つの開口部からミルクシェイクみたいに出して、そうすることで僕が自分の本物の胃で消化できるようにして、アルプスでヤギみたいに草で生活することができますよね」

「いやいやいや、私だったら絶対にやらないわ」

 

はじめはあきれたり、驚いたりする研究者たちも、トーマスの話を聞くうちに興味をそそられ、最終的には研究のバックアップを約束してくれる。たしかに、目の前で「僕もうこんなに歩けるんです!」と四足歩行の実演を見せられたら、思わず協力してしまいたくなるだろう。

 

 

で、彼は「ヤギ」になれたのか…?

さまざまな人の協力を得て、「ヤギ」になるための準備を整えたトーマスはついに「ヤギの群れとの生活」と「アルプス越え」に挑む。彼の壮大な(?)実験がどのような結果になったのかは本書を読んでほしい。爆笑と感動の名場面だらけです。

 

枠にはまった生活を送る僕にはトーマスの「何にも縛られない考え方」はとても魅力的に映る。「馬鹿じゃないの!」と笑われる彼の生き方が、現代の最も賢い生き方のひとつなんじゃないかとさえ思ってしまう。

そんな彼の「ワクワクする気持ち」に触れられる楽しいサイエンス・ノンフィクションなので、ぜひご一読を。

 

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