【書評】『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭
いまも競争がない国
前回の『寂しい生活』でも触れたが、僕らは人と比べ合うこと、競い合うことが生きていく上での原理原則になっている。もはや当たり前すぎてそれがない生活なんて考えられないくらいだ。
でも、世界は僕らの想像よりもずっと広くて、その当たり前が存在しない国がある。
たとえば、キューバという国は「資本主義を選ばなかった国」だ。僕ら日本人にはどうやって生活しているのか想像もつかないけれど、キューバの人たちは現在でも「社会主義」のもとで生活している。
社会主義国と聞くと、
・競争がないから人々は働かなくなってしまうのでは?
・すべての国民の貧富の差をなくすなんて可能なのか?
などと、次々と疑問が浮かんでくるが、キューバではいまもこの政治体制が維持されているらしい。
上のような問題をどうやってクリアしているのか。まったく想像できないからこそ、ものすごく興味がわいてくる。
競争や比較に閉塞感を感じている現代人にとって、社会主義国の人たちの生活は、現状を変える何か大きなヒントになるかもしれない。
今回紹介するのは、「仕事の成功」を煽る社会に違和感を覚え、その違和感の正体を見極めようと日本を飛び立った、人気お笑い芸人若林正恭さんによる「キューバ旅行記」だ。
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
書名:表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
著者:若林正恭
出版社:KADOKAWA (2017/7/14)
ISBN:9784040693163
「新作の舞台はなんとキューバ!」そんな帯の惹句を読みつつ本をめくると、予想は裏切られ、著者の若林さんがニューヨークを歩いているところから話は始まる。
「夢を叶えましょう!」「常にチャレンジしましょう!」「やりがいのある仕事をしましょう!」……ど派手な広告モニターが彼にそう語りかけ、アメリカ人の「Let´s enjoy!」という言葉が自分の中の「エンジョイしたい」という気持ちを破壊する。
家賃3万のアパートでリフレインしていた「仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません!」という声はニューヨークから発信されていたのではないか……?
そんな資本主義の頂点のような光景に違和感を覚え、「深い溜め息をついた」経験が、縁もゆかりもなかったキューバにたった一人で旅立つきっかけとなったようだ。
キューバでは「夜は眠る時間」
資本主義のトップを走るアメリカと、社会主義の体制を維持し続けるキューバ。つい最近まで「敵国」同士で国交が断絶していた両国。ニューヨークのきらびやかな様子に戸惑った若林さんが正反対の国であるキューバを求めるというのはある種の必然だったのかもしれない。
日本を離れ、上空からキューバの島を見下ろしたとき、彼はさっそくこの国が「資本主義」ではないことを感じる。
目覚めると飛行機は着陸態勢に入っていた。眼下に深夜の黒い海に浮かぶキューバの島
が見えてきた。
日本とは比べものにならないほど明かりが少ない。
夜に経済活動をするための明かりではなく、眠るまでの明かりであることが上空からでもなんとなくわかる。
空の上からでもキューバが資本主義ではないことが伝わってくる気がした。
「夜は眠るもの」という人類始まって以来の常識がキューバではまだ維持されている。「日本とは何もかも違う国に来てしまった……」という若林さんの思いが伝わってくるような描写だ。
「若林フィルター」から見たキューバ
本書では、単に印象的な景色や面白かった話の紹介では終わらない。どの場所でも、どんなエピソードでも、若林さんのフィルターを通したキューバの姿が丁寧に描かれている。
「ぼくはきっと命を『延ばしている』人間の目をしていて、彼らは命を『使っている』目をしていた」
と感じ、
カストロが10万人の観衆を前に伝説的な演説を披露した広場に立ち、
「自分の中に確信を持った人間が本気で喋ると、5時間以上も聞き手の耳をジャックできるという事実に、ただただ呆然と」
する。
また、スーパーマーケットにたった2種類しか置いていないヨーグルトから、たくさんの種類が売られている日本に思いを馳せ、
「それらを選ぶことは楽しいことであるのか、それともその品揃えの豊富さの陰で我々が犠牲にしていることがあるのだろうか?」
などと考える。
裕福でなくても底抜けに明るい人々や、太陽の光が降り注ぐカリブ海など、「楽しいキューバ旅行」の隙間隙間に、冒頭のニューヨークで感じた違和感の正体が垣間見える。
前作を読んだ人にこそおすすめしたい一冊
ただ、頑張っても給料が上がらないため、国民みんなが適当に働いていたり、国営の会社が作った服しかなくおしゃれなものが手に入らなかったり、社会主義であるからこその問題についても触れられている。
盲目的に「キューバ最高!万歳!」といった内容になっていないのも、フラットに物事を分析する若林さんらしいなあと思う。
旅の最後に彼がたどり着いた結論も、競争を続ける資本主義と平等を目指す社会主義のどちらかを選ぶものではなかった。彼が本当に求めているものは何か。それは実際に本書を読んで確かめてみてほしい。
帯のコピーに「キューバはよかった。そんな旅エッセイでは終わらない。」と書かれているように、キューバ旅行の「+α」の部分に、本書の魅力が凝縮されていると思う。
前作『社会人大学人見知り学部 卒業見込』が好きな人は、「旅エッセイはちょっと違うかも……」と思うかもしれない。ただ、本書も根っこの部分は変わらない「若林節が炸裂した」本になっているので、安心して手に取ってほしい。