現役編集者の書評ブログ

ビジネス書の編集をしています。読んだ本を不定期で紹介します。

【書評】『寂しい生活』稲垣えみ子

現代人の「競争疲れ」

なんか今週は疲れたな……と感じることがある。そう感じるのは単純に仕事が忙しいからだと思っていたのだけれど、最近になって、「競争」が原因なんじゃないかなと考えるようになった。

 

 疲れを感じた週を振り返ってみると、大学時代の同期と飲んで、自分との充実度の差を感じて落ち込んだり、年の近い先輩がベストセラーを出したことに焦りを感じたり、周りとの「競争」を意識させるような出来事が起こっていることが多い。

そんな精神的なもやもやが積み重なり、疲れとなって表れているみたいだ。

 

「周りと比べても仕方がない」し、「まずは自分のできることをコツコツやるべき」なのもわかっている。でも、心の底から湧き上がる「比較」や「競争」の気持ちをなかなか抑えることができない。

 

 

いつまで「上を目指し続ける」のか?

 「上を目指し続ける」ことが前提になっている資本主義は、どんなに頑張っても満足できないという状況を生み出し、僕らが休むことを許さない。「もっと高い給料を、さらに豊かな生活を」と人々を煽り続け、どんどん競争を過熱させる。

 

最近では、そうした現状に違和感を覚え、資本主義的な生き方から距離を置く人も出てくるようになった。出版の世界でも、物を減らしていくミニマリストをテーマにした本と、心を過度な競争から遠ざける自己啓発本が毎月のように刊行されている。

これからはさらにこういった本のニーズは高まっていくのだろう。

 

今回紹介する本も、現代の常識から一歩離れ、色々なものを手放していく過程を丁寧に記した一冊だ。

 

 

『寂しい生活』

書名:寂しい生活

著者:稲垣えみ子

出版社:東洋経済新報社 (2017/6/16)

ISBN:9784492046128

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 この人を初めてテレビで見たときの衝撃を今も忘れることができない。いつも見ていた「報道ステーション」に、日替わりコメンテーターとして突然、アフロの女性が現れたのだ。ニュース番組でアフロの女性が世界情勢について語っている。今まで見たことのない光景にしばし呆然としてしまった。

その女性が、当時朝日新聞編集委員をしていた稲垣えみ子さんだった。彼女は、見た目だけではなく、話している内容も衝撃的で、3.11の原発事故以降、電気を使わない生活を始め、家にある電化製品のコンセントを次々と抜いていったのだという。

電気を捨てた生活について滔々と語る稲垣さんに、キャスターの古館さんも、視聴者の気持ちを代弁するかのごとく戸惑いの表情を浮かべていた。

 

 

テレビもエアコンも冷蔵庫もやめた!

そんな稲垣さんが電気に限らず、さまざまなもの(なんと仕事までも!)を手放していく過程を綴ったのが本書『寂しい生活』東洋経済新報社)だ。

 

そもそもの発端は原発事故後の節電でした。

そう、ただの節電です。

もちろん、最初に節電を始めた頃は、「冒険」なんていう大げさなことになろうとは考えてもみませんでした。便利な生活に慣れきった自分がどこまで不便を我慢できるのか、いっちょ挑戦してみるかというほどの感覚でした。

しかし、途中からそれは思いもよらぬ方向へと勝手に進み始めたのです。

というのもですね、家電生活を見直すことで立ちはだかる大小の課題を一つ一つクリアしていくたびに、新しい自分、一回り大きくなった自分、物事に動じない自分が次々と誕生していくんだもんこれが!

(「はじめに」より)

 

本書では上で述べられているように、稲垣さんが家電を手放すことで出会った新たな発見がいくつも書かれている。

 

・電気をつけないことで見えてきた「月の明かり」

・テレビが埋めてくれていた「空白の時間」

・掃除機を捨てて発見した「楽しい家事」

・エアコンをやめたことで知った「密やかな涼しさ」

・冷蔵庫のなくしたことで実現した「今を生きること」

 

稲垣さんの語りかけるような文章で、「家電を手放す→代わりの方法を探す→新たな発見をする」のプロセスを疑似体験できる。

彼女が見つけたことはどれもこれも、僕らが便利と引き換えになくしてしまったものばかりだから、「何もない豊かさ」がとてもまぶしく、うらやましく映る。

 

 

冷蔵庫と大きすぎる欲

特に冷蔵庫に対する「気づき」は現代社会の歪みをそのまま反映しているような心に刺さるものだった。

 

冷蔵庫の中には、買いたいという欲と、食べたいという欲がパンパンに詰まっている。人の欲はとどまることを知らず、その食べ物の多くは実際には食べられることはない。もはやそれは食べ物ではない「何か」なのだ。

冷蔵庫は、その誕生期から比べれば信じられないくらい大きくなっている。それは、人々の欲望の拡大の姿そのものである。

(「冷蔵庫が『生きるサイズ』を見えなくする」より)

 

冷蔵庫は言うなれば、「欲望の容れ物」になってしまっているのだ。自分の中にとどめきれないほどの欲望を僕らは冷蔵庫に詰め込んでしまっている。「豊かになっているはずなのに、なぜか苦しい」というのは、この大きすぎる欲が原因なのではないかと思う。

 

この項目を読んで、すぐ自分の家の冷蔵庫を見てみると、一回使ったきりの調味料や、何かについてきた醤油の小袋など、「欲の慣れの果て」がたくさん出てきた。稲垣さんみたく冷蔵庫をなくすことはできないけれど、それらをすべて処分したら大分すっきりした気持ちになれた。

 

稲垣さんのレベルまですべてを手放すというのはなかなかできることではない。しかしその分、本書を読む価値は大きいと思う。「いまの生活に息苦しさを感じている人」「競争社会に疲れてしまっている人」にはぜひ本書を手に取ってほしい。

きっと稲垣さんの「なんとかなるよ!」という姿勢に救われるはずだ。

 

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