現役編集者の書評ブログ

ビジネス書の編集をしています。読んだ本を不定期で紹介します。

【書評】『ぼくには数字が風景に見える』ダニエル・タメット

 自分だけのもの、他人と同じもの

昔から「他の人にはない自分だけの武器」にあこがれてきた。円周率をいくらでも覚えられる記憶力、人を感動させるものを書ける文章力など、この人はここがすごい! と周りから思われるようなものが欲しくてたまらなかった。

 

 

 しかし、仕事を始めてからは逆に「他の人と同じでよかった」と感じることも多くなった。他の人と同じように感じたり、考えたり、伝えたりできるからこそ僕は今の社会の中で生き抜くことができるし、共同で仕事を進めることができる。

 

 

小説や映画などでは、抜きんでた能力を持つ「天才」が周囲から理解されず孤立してしまい苦しむ描写がよく描かれる。物語では絶対的な理解者が一人だけいてその天才は救われるが、実際の社会では、たった一人の助けだけでは生きていくのは難しいだろう。

 

 

そうやって考えると、「他の人と同じ」であることで今の生活を成り立たせているくせに、「自分にしかないもの」を追い求めるのは少しずるいような気がする。

 

 

もし、本当に自分だけの武器を追い求めるなら、周囲から全く理解されない「孤立無援」な状況に陥ることも覚悟しなければならないのかもしれない。

 

 

今回紹介する本は、他人にはない才能を持ちながら、この世界にうまくなじめない経験をしてきた一人の天才による手記だ。 

 

 

 

 

『ぼくには数字が風景に見える』

書名:ぼくには数字が風景に見える

著者:ダニエル・タメット  翻訳:古屋美登里

出版社:講談社 (2007/6/13)

ISBN:9784062139540

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タイトルを目にしただけで、大方の人にはこの本の著者ダニエル・タメットが持つ能力の見当がつくだろう。そう、彼には「数字が風景に見える」のだ。これは「共感覚」といい、文字や音に色を感じたりする現象のことで、彼の場合、文字や数字などに色と大きさの違いを感じるという。

 

 

原題のタイトル『Born on a Blue Day』は、彼の生まれた曜日である水曜日を彼自身が「青い日」だと感じていることからつけられた。

そんな彼が一躍有名になったのが、2004年、円周率の暗唱でヨーロッパ記録を樹立したとき。なんと円周率πの小数点以下22514桁を一つも間違えることなく暗唱したのだ。

 

 

この偉業により、新聞やラジオがこぞって彼のことを取り上げ、彼自身が自らの生い立ちと頭の中について綴った本書も全米で大ベストセラーとなった。

 

 

彼は自分の数字に対する感覚について次のように語る。

 

 ぼくの場合はちょっと珍しい複雑なタイプで、数字に色や形、質感、動きなどが伴っている。たとえば、1という数字は明るく輝く白で、懐中電灯で目を照らされたような感じ。5は雷鳴、あるいは岩に当たって砕ける波の音。37はポリッジのようにぼつぼつしているし、89は舞い散る雪に見える。

 

数字一つ一つにこのような感覚を持っており、複雑な計算をしたり、数字の暗記をしたりときにも、色や形の変化を感じることで、常人には考えられないような計算力や暗記力を発揮することができるのだという。

 

 

彼は数字だけではなく、言葉に関しても同様の感覚を持っているため、言語の習得もものすごく早く、本書の刊行時点で10か国語を話すことができる。刊行から10年以上経つ現在では、もっとたくさんの言語を話せるようになっているかもしれない。

 

 

これほどまでに常人離れした能力に、「いいなあ、自分もそうであったらなあ」と羨望のまなざしで見つめてしまうのだが、この本では、彼を語る上でかかせないであろうもう一つの“常人離れ”した点についても触れられている。

 

 

彼は人とのコミュニケーションがうまくいかないアスペルガー症候群でもあるのだ。彼の生い立ちは家族、友達、恋愛と人付き合いでの試練の連続だった。人の目を見て話せない、質問にうまく答えられない、環境の変化についていけない……僕らが日常当たり前のようにできていることが彼にはとても難しい。

 

 

何万桁もの円周率を覚え、一週間で新たな言語を習得できる彼が、「ひとりでホテルに泊まる」ことや「混雑した通りをひるむことなく進んでいく」ことに大いなる達成感を覚えている様子はひどく印象に残った。

 

 

いたるところにこうした描写やそのときの気持ちが丁寧に書かれていて、「注目されている自分を通じてアスペルガー症候群についてもっとよく知ってほしい」という彼の想いが伝わってくるようだった。

 

 

この本を手に取った人のほとんどは、特殊な能力を持つ人の頭の中を覗いてみたいという知的好奇心によるものかもしれない。もちろんそうした内容はしっかりと書かれているが、同時に、日常生活で困難を抱える人が何を考え、どうやって生きているのかについても理解を深めることのできる本になっている。

 

 

本書を読んで、僕らが当たり前のように感じてしまっている「他人と共有できる能力を持つ幸せ」について自覚的になることで、この世界に対してもう一段深い理解をすることができるようになるはずだ。

 

 

読んでしみじみと「いい本だったなあ……」と感じることのできる本なので、少し長めだが、ゆっくりと読み進めてほしいと思う。

 

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