【書評】『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』佐々涼子
「知らないこと」をなくすために
新社会人みたいで恥ずかしいけれど、いまだに毎日新しいことを何か1つは学んでいる。最初のうちは少しずつ成長できているように感じられて嬉しかったのだが、ここ最近は、「どれだけ僕はものを知らないんだろう」と思う気持ちがむくむくと育ってきて、悲しくなる。
今はいろんなものが高度に発達しすぎて、なかなかその仕組みの細かいところまで理解することができない。毎日電車に乗っているほとんどの人が、どうやって電車が動いているのかを詳しくわかっていないだろう。だから、「知らないことが多い」というのは当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
でも、いかに世界が複雑になってきたからといって、プロフェッショナルであるはずの自分の仕事については何も知らないのは明らかにまずいと思う。
原稿を受け取って、ゲラという試し刷りの形にして、印刷所に持ち込んで……という自分の半径30cmの仕事ならなんとかわかる。ただ、印刷所に入ったあと、印刷された紙が製本所に送られて本になるまでの過程は正直かなり怪しい。
出版社に勤めている人間がそうした過程をちゃんと理解していないなんてありえない、と思われるかもしれない。
僕自身もまずいよなあ、ちゃんと勉強しないとなあと思いつつも自分の弱さに流されてなんとなくぼんやりとしたままここまで来てしまった。
ただ、SNSの投稿を見たり、仕事で会う人と話していたりすると、結構自分の周りのことを分かっていない人って多いんじゃないかなと感じる。
もはや大多数の人にとっては、自分の仕事に関係することでさえも、情報のキャパシティを超えてしまっているみたいだ。
みんなそうなら怖くない! と考えるか、みんなでまずい方向に進んでるよ……と考えるかは人それぞれだと思う。
僕は自分の仕事の周りくらいは全部わかるようになりたい。 そのために、成長しているという自己陶酔感も、このままではまずいという危機感もまとめて利用して、知ろうとする姿勢を続けていきたい。
今回紹介するのは、僕らの仕事に大きく関係する「本の紙」をつくっている製紙工場が震災から復興するまでのノンフィクションだ。
『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』
書名:紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている
著者:佐々涼子
出版社:早川書房 (2014/6/20)
ISBN:9784152094605
2011年3月11日、世界屈指の生産規模を誇る日本製紙石巻工場は、東日本大震災による津波に飲み込まれた。工場は壊滅的な被害を受け、従業員の多くが「もう石巻工場は閉鎖される」と噂した。
しかし、工場長は全力で復興に取り組むように呼びかけ、「半年後の製造再開」という目標を掲げる。無謀にしか思えない指令に呆れる従業員たちだったが、少しずつ前進していくうちに、工場再開への道筋が見えるようになっていく。
本書はそんな日本製紙石巻工場が震災からいかに立ち直り、半年復興という大仕事を成し遂げたかを記録したノンフィックションだ。
最初の3分の1ほどで、被災したときの様子が、従業員たちの視点から描かれている。
2階より上の部分がそっくりなくなった家、海の上でも消えることなく燃え続ける炎、至るところから聞こえてくる助けを求める声。
彼らが見聞きしたものは「絶望」がそのまま形になったようなショッキングな光景だ。
僕らがニュースを通じて見ていたものとは違う「本当の現実」が率直に描かれている。
工場の状況もとても復興など考えられる様子ではない。震災後初めに戻った工場長が、「最初から新しく工場を作った方が早いんじゃないのか?」と思うほどだった。
しかし、彼はこの工場を震災復興のシンボルにしなければならないと考え、「半年後の工場再開」を命じる。
これがフィクションなら、すぐさま従業員一同が団結し、目標に向かって一心不乱に取り組んでいく……といった内容になるだろう。
しかし、命じられた部下たちは、「自分のせいで会社がおかしくなるのだけは避けたい。誰か他の課が派手に遅れてくれれば、計画が無理だとわかるはずだ。頼む、誰か早めに派手にこけてくれ」などと考えていたという。
こんな風に「自分はこけたくない。周りの誰かが失敗するだろう」と思いながら、作業に取り組んでいったところ、なんとどんどんバトンがつながっていってしまう。
課から課へと次々と仕事がつながっていく様子に「ここまで来たらやるしかない」と彼らは腹を括り、工場を挙げて製造再開に向かっていく。
仲良く手を取り合って慰め合いながら進んでいくのではなく、自分の範囲の仕事を全力でこなし、バトンを渡したら、次の仕事の様子を黙って見守る。
本物のチームワークとは、こういった甘えの一切ないものなのかもしれない。
この甘えのない姿勢が、結果的に「やるしかない」という状況を作り出し、一見不可能とも思えるような目標を達成することができたのだろう。
僕もこういうバトンをつなぐ仕事をしていきたいなあ……なんて考えていたら、本書の最後のこんな記述があった。
いい本を作れば必ず紙は売れる。あとはあなたたちがどうするかだ
していきたいなあ……ではなかった。もうすでにバトンは僕らへと手渡されていたのだ。石巻工場の全従業員が徹夜を重ねてなんとかつないだ「本の紙」を僕らがどんな本にしていくのか。
今、彼らは僕らの仕事を黙って見つめている。
そう考えると、背筋が伸びる思いがするし、「今回は力を入れなくていいや」なんて本があっていいはずがない、と思い知らされた。
僕自身も印刷所や取次、書店にいいバトンがつなげるよう、こだわって、こだわって、もうどうしようもない、というところまで頑張らないといけないのだ。
どんな人からバトンを受け取って、どんな人へとつないでいくのか。仕事で最も大切な考え方のひとつを教えてくれる素晴らしい記録だった。
プロ意識がひしひしと伝わってくる一冊で、どういう仕事をしている人でも自分を見つめなおすきっかけになるはずだ。5月病を吹き飛ばす本として、ぜひおすすめしたい。