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現役編集者の書評ブログ

ビジネス書の編集をしています。読んだ本を不定期で紹介します。

【書評】『限りなく透明に近いブルー』村上龍

小説に“飲み込まれる”

いろんな人の小説の感想を見ていると「自分の知らない新しい世界に触れられた」といった表現によく出くわす。

確かに、自分とは全く違う世界をのぞき見ることができるのは小説の大きな醍醐味の一つだと思う。

 

 

しかし、中には、「のぞき見る」どころかその世界に引き込まれてしまう作品も存在する。自分の今いる世界から小説の中の世界へと引きずり込まれ、読み終わった後もしばらくその余韻から抜け出せなくなってしまう。

読書好きの人ならだれでも一度はそういった経験したことがあるだろう。というかむしろ、その経験があったからこそ、読書好きになった人も多いのではないか。

 

 

今回紹介する本も、読んだ人をその世界に引き込んでしまうような力を持った 作品だ。

 

 

 

限りなく透明に近いブルー

書名:限りなく透明に近いブルー

著者:村上龍

出版社:講談社 (1978/12/19)

ISBN:9784061315310

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村上龍の当時世間に衝撃を与えたデビュー作。群像新人、芥川賞受賞作。

 

 

19歳の青年リュウと、その仲間たちの、麻薬とセックスにまみれた退廃的な、でもどこか惹きつけられる日常を描く。 

 

 

とにかく最初から最後まで、薬、セックス、暴力と衝撃的な描写が続く。

小説の中の話だということは重々承知だが、仲間内で薬をやっているシーン、黒人とともにパーティを楽しんでいるシーン、作品内の一つ一つの描写がいやにリアルで、僕らが住んでいる日本で、これほどアンダーグラウンドな世界があるのかと、驚かされてしまう。

 

 

自分の常識が揺さぶられるほどの主人公たちの日常に惹きつけられ、つい自分の世界を忘れて作品の世界に浸ってしまう。まさに読んだ人をその世界に引き込んでしまう作品だ。

 

 

……というようなことを書いてまとめようと思っていた。

しかし、本の最後の解説で、編集者の今井裕康(本名:三浦雅士)はこの作品について次のように書いている。

 

賛否両論に二分された評価は、そのほとんどが作品そのものをよりそこに描かれた凄じい光景をめぐってなされたといってよいからである。作品は、ある意味で、素通りされたのである。

 

 返す言葉もない――僕も今井が指摘している大多数の人と同じように、苛烈な描写だけに目を奪われ、作品そのものにはほとんど目を向けていなかった。

 

 

もう一度、頭から読み返してみると、主人公とその仲間たちが僕らの生きる社会と徹底的に隔離されて描かれていることに気づいた。

この小説の中には、「何気ない日常」のようなものが一切描かれていない。主人公たちは常に、社会から断絶された場所で、社会から認められないような行為を愉しむ。

そうやって社会から離れた生活を送る主人公は物語の終盤、幻覚の中で大きな黒い鳥の姿を見て、絶叫する。

 

鳥は殺さなきゃだめなんだ。鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を俺から隠してるんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。

 

主人公が殺さなければ逆に殺されると叫ぶ「鳥」とは、一体何なのか。それは僕らが生きる社会のことを指しているのだろう。たとえ居場所がなかったとしても、決して逃げ切ることができず、すきあらば自分のことをその内部に取りこもうとする存在。その強大さ、無慈悲さ、恐ろしさに主人公は耐えられず絶叫してしまったのではないか。

 

 

そこから逸脱したいと仲間と共にどんなにもがき続けようとも、ひたひたと自らの背後に迫ってくる存在。そういった若者特有の社会に対する嫌悪感と恐怖のような感覚を、この作品は、麻薬とセックスを道具に描き出している。

 

 

多くの人は一回読んだだけでは、衝撃的な描写に引っ張られ、作品そのものに目を向けることはできないだろう。そういった人達に向けてもう一度作品の意味を問い直すという点で、作品のみならず今井の解説も素晴らしいものだと思う。

 

 

一度読んだことがある人もぜひ、もう一度手に取って、鮮烈さ・強烈さの中に見えるものにも目を向けてもらいたい。

 

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