【書評】『性的人間』大江健三郎
自分を表す「自分以外」
中学生の時、所属している部活によって、明確なヒエラルキーがあった。
僕の所属していたテニス部は卓球部より上で、サッカー部より下だった。
このルールは基本的に絶対だったし、よほど目立っている人でないと、覆すことはできないものだった。
はじめのうちは「何となくおかしいな」って感覚は持っていたように思う。
しかし、3年間の学校生活を送っているうちに、いつの間にか、そういったヒエラルキーを世界の常識のように感じるようになってしまった。
(今でも、サッカー部だったという人に会うと、「この人には敵わないかも……」と感じてしまうことがある)
こうやって学生時代から「英才教育」を受けてきた僕たちは、所属しているコミュニティで自分を紹介するのが当たり前になっている。
僕が自分を紹介するとしたら、「○○大学出身」だとか、「出版社で働いている」だとか、なんの疑いもなく、自分のコミュニティの話から始めるだろう。
しかし、これは「僕個人」の説明だといえるだろうか。
「○○大学出身」も「出版社勤務」も、僕以外にも大勢いる。
まるで、瓶の中身を一切見せずに、外に貼られたラベルだけを紹介しているみたいだ。
『性的人間』
書名: 性的人間
著者:大江健三郎
出版社:新潮社 (1968/4/29)
ISBN: 9784101126043
川端康成に次ぐ日本人2人目のノーベル賞作家である大江健三郎による中編3篇。
表題作の「性的人間」、その他には「セブンティーン」、「共同生活」が収められている。
ここでは個人的に一番印象に残った「セブンティーン」を紹介したい。
主人公はタイトル通りの17歳になったばかりの少年。
自らの17歳の誕生日に、家族と言い争い、暗い倉庫の中で自慰にふけるような、みじめな人生を送っていたが、ある日、同級生に誘われたことがきっかけで、右翼に目覚め、彼の生活は一変する。
彼は「思想の鎧」が自らの本当の内面を覆い隠してくれるように感じ、全能感から来る虎のような尊大な自尊心を持って、日々を過ごすことができるようになっていく……
以上が、大まかなあらすじだが、この小説の面白いところは、なんといっても、主人公が右翼に傾倒していく過程の心理描写だ。
家でも、学校でも、徹底的に周りの人に蔑まれ、どんなにみじめな気持ちであるか、その後彼が出会った「思想」がいかに彼を強く見せ、自信をつけさせる道具なのか、ということが一人称でものすごい熱量を持って語られていく。
内面は全く変わってないにもかかわらず、自分の外側に強く見せる「思想の鎧」を着込み、自信満々にふるまう様子は、はたから見ていてどこか滑稽でもある。
しかし、僕は彼を笑うことはとてもできない。自分の外側が自分そのものであるかのような感覚は、中学以来僕も(そして、おそらくほかの人たちも)ずっと持ち続けているものだからだ。
自分の着込んでいる「鎧」に自覚的にならなければ、この少年のように、はたから見てどこか滑稽な、ゆがんだ一生を送ることになりかねない。
何十年も昔に書かれた小説ではあるが、現代にも通じる恐ろしさを、感じられる「劇薬」のような作品だ。